<陸上:大阪マラソン>◇22日◇大阪府庁前-大阪城公園前(42・195キロ)
24年大阪マラソン覇者の平林清澄(23=ロジスティード)が2時間6分14秒の自己ベストで5位に入り、28年ロサンゼルス五輪の代表選考会にあたる「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC、27年10月開催予定)」出場権を獲得した。
「冬眠」を終えた平林が、復活の走りでロス五輪への挑戦権をつかんだ。
ペースメーカーの離れた後の31キロあたりで勝負に出た。「これはもう今のうちに行かないと(吉田に)追いつかないぞと思ったのと、自分の足を計算して、これだったら持つかもしれないなと思った」とペースアップ。37キロ過ぎには優勝したイブラヒム・ハッサン(ジブチ)とともに先頭を独走していた吉田響(サンベルクス)を捉えた。その後は3人に抜かれたが、日本人トップの5位でフィニッシュ。「宣言通りというか、前日会見でも言った通り、2時間6分半切りのMGC出場権がしっかりと取れたので、自分としてはまずはひと安心」と充実した表情で振り返った。
半年間以上の“冬”を乗り越えての復活劇となった。国学院大4年だった25年2月に出場した別府大分毎日マラソンで、一時はトップに立つも9位に終わった。世界選手権出場も狙って挑んだレースでの失速が、苦難の始まりになった。「もう何もかも失ったかのような顔をして帰ってきた」という平林には、リフレッシュして戻るために2週間の休養を与えられたが「そこから何事もうまくいかなかった」。
3月には国学院大を卒業して1人暮らしを始めたが、部屋を整える余裕すらなかった。「マットレスと段ボールの机だけで2カ月ぐらい生活していた。走るのが先なのか、日常生活を整えるのが先なのか、そこからわからなかった」。人生で初めてパーマをかけて反抗心を示したりもしたが、トンネルの出口は見えなかった。
後輩の大学生と練習をする中で、学生との距離感にも苦慮した。「今まで自分が作ってきたチームだったけど、全てが変わっている。そこに寂しさを感じたりもした」と複雑な感情を抱きながらの生活。「5~6月までは死んだ魚みたいな目をしていて、入ってきた1年生に『平林さんってあんな感じなんですね』と言われちゃうぐらいだった」。晴れやかな笑顔を忘れてしまう日々が続いた。
そんな生活に光が差し込んだのは、昨夏以降だった。上原琉翔(4年)、青木瑠郁(4年)といったよく知る後輩との対話を繰り返すうちに「徐々に復活していった」ときっかけを見いだすと、9月には「本当は見に行きたくなかった」という世界選手権に知人から誘われて国立競技場を訪れ、マラソンを観戦。その場で湧き上がったのが「やっぱりマラソンをやりたい」という思い。大きく1歩を踏み出す覚悟が決まった。
冬の駅伝出場で調子を上げた平林は、自身約1年ぶりのマラソンとなったこの日、日本人最高5位でMGC出場権を獲得。「真冬なんですけど、今日も暖かいので、そろそろ目覚めようかなと思った。さらに成長できる1年にできたら」。冬眠終了と表舞台への復帰を高らかに宣言した23歳が、ロス五輪代表に照準を合わせた。
【大阪マラソン】「冬眠」終えた平林清澄が5位でMGC出場権「そろそろ目覚めようと思った」
引用元:日刊スポーツ


