箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡連載10:村山紘太(城西大/2012〜15年)
いまや正月の風物詩とも言える国民的行事となった東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)。往路107.5km、復路109.6kmの総距離 217.1kmを各校10人のランナーがつなぐ襷リレーは、走者の数だけさまざまなドラマを生み出す。
すでに100回を超える歴史のなか、時代を超えて生き続けるランナーたちに焦点を当てる今連載。第10回は、双子の兄・謙太とは別の大学に進み、トラックでも存在感を発揮した村山紘太を紹介する。
連載・箱根駅伝名ランナー列伝リスト
【「低酸素トレ」を中心に着実に成長】
今年の箱根駅伝で4年連続シード権を獲得した城西大。飛躍を遂げる要因となっている櫛部静二監督が導入した「低酸素トレーニング」にいち早く取り組み、学生長距離界を席巻したのが村山紘太だ。
宮城・明成高(現・仙台大附属明成高)時代は2年時のインターハイ1500mで決勝に進出して、3年時は5000mで14分04秒18をマーク。5000mで当時・高校歴代7位の13分49秒45、10000mで同2位の28分10秒32を叩き出した兄・謙太ほどのインパクトを残すことはできなかったが、その才能はホンモノだった。城西大に進学して、持ち味のスピードが加速していく。
1年時は箱根駅伝(2012年)の1区を区間5位と好走。チーム最高タイ(当時)の総合6位に貢献した。2年時は世界ジュニア選手権5000mに出場(11位)するなど、トラックでも存在感を発揮したが、箱根は花の2区を任されるも区間15位と振るわず。3年時の箱根も2区で区間18位と苦しんだ。
「兄と実力差はかなりありましたね。双子ですけど、謙太は1学年上というイメージでした。箱根に関しては、1年時は腸脛靭帯を痛めていて、2年時は坐骨神経痛と腸腰筋の痛み、3年時は坐骨神経痛と貧血。いずれも万全な状態ではなかったので、自信を持ってスタートラインに立つことができなかったんです」
それでも4年時に大ブレイクを果たすことになる。2014年シーズン、5月の関東インカレでは、2部10000mで兄・謙太(駒大)が優勝。続く1部10000mを28分54秒85で紘太が制し、"兄弟優勝"を達成した。6月の日本選手権5000mは佐藤悠基に次ぐ2位(13分43秒16)に入り、アジア大会の日本代表に選出された。
9月上旬の日本インカレはアジア大会前の「調整」として1500mに出場。大会新&日本人学生歴代2位(当時)の3分39秒56で2位に食い込んだ。そしてアジア大会の5000mは13分34秒57の自己ベストで5位入賞を果たしている。
夏合宿は30km走を1回入れただけで、さほど距離を踏んでいなかったが、10月中旬の箱根駅伝予選会(当時20km)で快走する。「自分のなかではしっかりと練習ができていたので、負ける気がしなかった」と村山。日本人最高タイムの58分26秒で軽やかに駆け抜けて、個人トップに輝いた。
11月上旬の全日本大学駅伝は1区(当時は2番目に長い14.6km)で"兄弟対決"が実現。ラスト勝負で兄・謙太(駒大)と大接戦を演じて、秒差なしの区間2位でタスキをつないだ。
「全日本は箱根予選会の疲労もありましたし、5日前に発熱するなど状態はよくなかったんです。謙太に先着されましたが、着差に持ち込むことができて、力がついてきたかなと感じました」
【箱根駅伝 名ランナー列伝】村山紘太(城西大学) 双子の兄を追い続けた歳月とその証しを刻んだ最終学年シーズン
引用元:webスポルティーバ


