箱根駅伝優勝の青学大・黒田朝日らが亡きチームメート皆渡星七さんと「一緒に卒業」

引用元:スポーツ報知
箱根駅伝優勝の青学大・黒田朝日らが亡きチームメート皆渡星七さんと「一緒に卒業」

 第102回箱根駅伝(1月2、3日)で往復路、総合のトリプル新記録で史上初の同一チーム2度目の3連覇(計9度目)を達成した青学大の4年生が25日、東京・渋谷区の青山キャンパスで卒業式に臨んだ。

 記念撮影では、昨年2月に悪性リンパ腫のため亡くなった同期生の皆渡星七(みなわたり・せな)さん(当時3年、享年21)の写真を黒田朝日と塩出翔太が大事そうに手にした。阿戸将太朗マネジャーは「3年生(2024年)の夏の菅平合宿の時の写真です。この頃は本当に元気でした」と、チームのムードメーカーだった皆渡さんがおどける表情の写真を見つめた。陽気な性格だった皆渡さんの思いを受け継ぎ、記念撮影では全員が明るい表情を見せた。主将の黒田朝日は「彼を含めて同期です。みんなで一緒に卒業したつもりです」と実感を込めて話した。

 皆渡さんは2年生だった第100回箱根駅伝(24年1月)で16人の登録メンバー入りを果たした。7区に登録され、当日変更で出番なしとなったが、原晋監督(59)が「次の第101回箱根駅伝では復路の主力になる」と期待していた逸材だった。

 3年に進級した24年度、順調に成長し、24年6月には5000メートルで13分51秒38の自己ベストを更新した。24年11月の全日本大学駅伝では、学生トップレベルの青学大において16人の登録メンバーにも名を連ねた。しかし、24年11月上旬に体調不良を訴え、東京・町田市の選手寮を離れて入院。25年1月に自身のSNSで「悪性リンパ腫」と診断され、治療を続けていることを明かした。「がんになっても箱根を目指したい」。強い思いをタイトルに込め、復帰へ意志を示していた。

 原監督は第101回箱根駅伝直前だった24年12月末のチームミーティングに皆渡さんがリモートで参加していたことを明かす。

 「入院先からリモートで参加してくれました。『走れることは当たり前ではありません。箱根駅伝、頑張ってください』とチームメートを励ましました。みんなで皆渡を励まさなければいけないのに、みんなが皆渡に励まされた。第101回箱根駅伝で優勝できたのは間違いなく皆渡の力がありました」

 第101回箱根駅伝(25年1月)が終わった後も、当時3年生(現4年生)の学年ミーティングにもリモートで参加。主将や主務の人選の話し合いに積極的に発言していたが、その後、体調が悪化し、昨年2月に帰らぬ人となった。

 皆渡さんは亡くなった後もチームメートを励まし続けた。今年1月の第102回箱根駅伝で、青学大ランナーは皆渡星七さんの名前を示す「★7」のマークを書き込み力走。黒田朝日は5区で1時間7分16秒の驚異的な区間新記録をマークし「シン・山の神」&「4代目・山の神」となった。8区で区間新記録をマークして3年連続区間賞を獲得した塩出翔太は「4年生はみんな星七の思いを感じて走りました」と語る。

 第102回箱根駅伝に向けて、原監督は「輝け大作戦」を発令し、9度目の優勝を果たした。青学大駅伝チームでは、その年度の4年生は大作戦の名前の世代で呼ばれる。そのため、今年度の卒業生は「輝け世代」となる。

 黒田朝日は「同期に恵まれ、とても、濃い4年間でした。素敵な4年間でした。4年目はキャプテンとしてしんどい時もありましたけど、みんなに支えられた。『ありがとう』と言いたいです」と感謝した。3年連続で優勝メンバーとなった宇田川瞬矢は「辞めたい、と思った時もありましたが、振り返ってみれば、とても楽しかった」と4年間の思い出を語った。4年目にして初めて箱根駅伝を走り、9区区間賞に輝いた佐藤有一は「同期をはじめチームメート、原監督、コーチ、スタッフ全員に感謝しています。卒業はさみしいですけど、次のステージで、また頑張ります」と前を向いた。3年連続でVメンバー&8区区間賞の塩出翔太は「4年前、入学して最初の学年ミーティングで『4年生の時、箱根駅伝に優勝して終わろう』とみんなで決めました。それが達成できました」と充実感あふれる表情で話した。

 黒田朝日はGMOインターネットグループ、塩出翔太は旭化成、宇田川瞬矢はコモディイイダ、佐藤有一はサンベルクスで競技を続ける。2年時に1区で力走した荒巻朋熙らは卒業を区切りに競技の第一線を退き、新たな道に進む。4年間で箱根駅伝優勝3回。箱根路で歴史を刻んだ青学大の「輝け世代」は、それぞれの次のステージに向かって走り出した。