大学のため、地元のため、そして——箱根駅伝「学連チーム」が残した伝説

引用元:AERA DIGITAL
大学のため、地元のため、そして——箱根駅伝「学連チーム」が残した伝説

 2026年で102回目を迎える箱根駅伝。今ではすっかりおなじみになった関東学生連合チームは、予選を通過できなかったチームの選手にも出場機会を広げる目的から、第79回大会(2003年)に関東学連選抜チームの名称で、オープン参加の形で初めて実現した。そんな混成チームの記憶に残る名場面を振り返ってみよう。

 第79回大会で、1区の走者として新しい歴史の第1歩を踏み出したのが、坂斎享(国士舘大)だ。

「自分の大学のために個人をアピールしたい」と張り切り、当初は「目立とう」と単身飛び出すつもりだったが、直前で風邪をひき、やむを得ず集団の中で自重することになった。

 ところが、15キロ過ぎの給水場で他校の選手と接触し、転倒するアクシデントに見舞われ、「コケちゃいました」と苦笑。結果的に別の意味で目立つことになったが、18キロ過ぎから猛烈な追い込みで先頭集団に追いつく激走を見せ、区間7位と健闘した。

 初の区間賞を獲得したのが、第80回大会(2004年)で前年の区間8位に続いて山登りの5区を走った鐘ヶ江幸治(筑波大)だ。

 向かい風に苦しみながらも、目と口を開いたまま、険しいコースを懸命に走り切り、16位から9人抜きの7位相当でゴール。区間記録保持者の中井祥太(東海大)を33秒も引き離す1時間12分21秒で、堂々の区間賞に輝いた。

 これにはゴール後に快挙を知った本人も「えっ、うそ!」とビックリ仰天だった。

 第81回大会(2005年)では、8区の松本翔(東大)が、単独チームで出場した第60回記念大会(1984年)以来、21年ぶりの東大生ランナーとして注目を集めた。

 宮崎・小林高時代は全国高校駅伝でエース区間の1区を走り、東大にも現役で合格した文武両道の1年生は、地元・宮崎の民放テレビ局が2局しかなく、箱根駅伝が復路しか中継されないことから、テレビに映る8区を志願しての出場だった。

 だが、本番1週間前に左足を痛め、坐骨神経痛も悪化。本来の走りができず、後半に失速したものの、「タスキだけは何とか渡そう」と区間10位の1時間07分7秒で走り切った。

 ちなみに東大は、前出の第60回大会で9区と10区でそれぞれ区間14位を記録したのが最高順位とあって、東大記録を更新した松本は「箱根は素晴らしかった。沈んでも10位だったので、手ごたえを感じている」と振り返った。