年末が近づくと、スポーツ界では今年1年を振り返って各種の表彰が行われる。顕著な成績を収めた選手たちの膨大な努力に敬意を表したい。ちょうど良いタイミングなので、改めてアスリートの価値とは何か、について考えてみたいと思う。自分が専門にしている陸上競技は走って、跳んで、投げる、というスポーツだが、では、そのパフォーマンスだけが卓越していればいいのだろうか?
先日、一般財団法人「クロノス保全財団」(東京都港区)のプロジェクト「ラッピングザアース」にアンバサダーという立場で関わる機会に恵まれた。このプロジェクトは、先進の映像投影技術で歴史的建造物などを芸術的に彩ることで新たな価値を吹き込み、保全につなげる取り組みだ。浅草神社(東京都台東区)で、各界の識者の方々と「時代を創る挑戦者たち」をテーマにトークセッションを行い、自分自身の経験や考えなどを話した。同時に、自分たちが主催する陸上競技の大会にも光の演出を持ち込めないだろうかと、良い刺激をもらった。
こうやってスポーツ以外の分野から求められるのはありがたいことで、アスリートとして、こだわって表現してきたことが認められたのだと感じる瞬間でもある。社会と向き合い、何を与えられるか。現役であっても引退後のセカンドキャリアであっても重要な点だろう。
若い選手の中には自己主張ばかり強い者もいるが、SNSなどで発信することは、あくまで手段。自己満足的に完結するのではなく、トップスポーツという特殊な環境で生きる中で、人間として知見や思想を深め、それを通じて他者=社会とつながれるといいのではないか。そういう意味では、陸上競技自体も一つの手段なのだといえる。
クロノス保全財団とは人を介して関係ができた。これまで僕が義理や縁を重んじてきたことで、予想外の方向に親交が広がったわけだ。義理の立て方や筋の通し方は、熊本・九州学院高時代の恩師、禿(かむろ)雄進先生が実践してみせてくれて、僕自身の感性が反応して育まれた。
とはいえ、何か特別なことをしてきたつもりはない。人の心の機微を丁寧に拾ってきただけだ。自分の内で練ってきたものと、外で積み上げてきたものが相まって、ようやく世の中と結びつく価値を生み出せるようになってきたように感じている。(陸上世界選手権200メートル、北京五輪400メートルリレーメダリスト)
速く走れれば、それでいいのか 陸上競技自体も一つの「手段」 末續慎吾 スポーツ一刀両断
引用元:産経新聞

