毎年1月2、3両日に行われる東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で、復路の難所に「遊行寺坂」(神奈川県藤沢市)がある。テレビ中継でも取り上げられており、全国的にも知る人は多い。一方、この坂に隣接し、その名の由来となっている遊行寺(同)は今年、開山700年の節目を迎えた。正式名は「藤澤山無量光院清浄光寺」という時宗の総本山。鎌倉時代から現代まで、歴史を紡いできた。
■江島弁財天の神託で開山
今月10日、開山700年を祝う行事が江島神社(同市)で開かれ、同神社の神職と遊行寺の僧侶が、社殿内で神事と仏事を交代に執り行い、江島弁財天への感謝をささげた。なぜ遊行寺の節目を江島神社で祝うのか-。それには、互いに深いつながりがあるからだ。
江島神社がある江の島は古くから高僧が修行する聖地で、時宗の宗祖、一遍上人も訪れている。1325(正中2)年、遊行四代呑海上人が同地で修行中に江島弁財天から「白蓮が生える地を居とせよ」との神託を受け、現在とほぼ同じ場所に遊行寺を開山した。白蓮が咲く場所には「淵沢(ふちさわ)」があり、「藤沢」の地名の由来になったとされている。
また、遊行寺の目の前には、明治初期まで江島神社の「一の鳥居」が建てられていたこともあり、両者には強い関係性がある。「節目の年にお参りに行くのは普通の話。特別でも何でもないんです」と遊行寺の境内にある宝物館の遠山元浩館長は話す。
■家康が復興に尽力
遊行寺が長く続いてきた背景には、時の権力者との結びつきも見逃せない。
遠山館長によると、後北条氏が台頭してきた1513年に焼失したが、後北条氏滅亡後、復興に尽力したのが徳川家康だ。遊行十二代尊観上人の弟子となり、各地に同行していた徳阿弥が三河国で武士に戻って松平姓を名乗り、その子孫が家康。徳阿弥が先祖を祀る神社を遊行寺に建立していたため、江戸時代は徳川家から厚遇された。
近世以降、幾多の火災により寺の建物は焼失したが、その都度復興される。昭和12年に再建された現在の本堂については、「部材によっては江戸時代のものも残っている」と遠山館長。歴史を今に伝える品々も多数残されており、宝物館で年に5回企画展を実施。来年1月1日からは所蔵する絵画などを公開する「遊行寺の什宝(じゅうほう)」が開かれる。
■選手苦しめる急な上り坂
箱根駅伝8区の難所「遊行寺坂」で知られる遊行寺、開山700年 江島神社と合同で儀式
引用元:産経新聞


