2026年の仕事始めは、箱根駅伝。写真記者協会の代表撮影で共同カメラ車に乗り込んだ。これは、主催社などを除き、各スポーツ紙に6年に1度巡ってくる大役で、トラックの荷台から先頭のランナーを追い続ける仕事だ。
1月2日、大手町。号砲とともに1区の走者が飛び出し、初仕事がスタート。1区の国学院大・青木瑠郁の鮮やかな区間賞を皮切りに、5区の青学大・黒田朝日の圧倒的な走力で魅せた逆転劇を間近で撮影できた。望遠レンズ越しで、最初は点でしか見えなかった黒田が、米粒大、握りこぶし大、そして肉眼でハッキリ見え、最後に早大・工藤慎作を抜き去った。この歴史的な山登りに胸が震えた。だが、私のベストショットはこのシーンではない。
青学大のタスキに描かれた「七つ星」。これを競技中に撮影することができた。
3日、復路。快走を続ける青学大の選手たちを撮り続け、迎えた9区。佐藤有一の肩にかけたタスキが、肩口でねじれ、裏返しになっていることに目が留まった。青学大のタスキには箱根駅伝の1区から10区までの選手名、その先に部員の名前が書かれているが、1区の走者名の上に何かが書かれていた。カメラで拡大すると、★が4つ。その後、見えなかった位置にももう3つの★を確認できた。七つの星。25年に悪性リンパ腫で亡くなった青学大の皆渡星七さんへの思いを込め「★7」の文字を体に記していたが、その思いは、タスキにも宿っていた。
七つの星が全て見えた瞬間はないか。前日の5区・黒田から撮影した青学大の選手の写真をさかのぼる。しかし、ハッキリ見えているものは1枚もない。ほとんどの選手が「青山学院大学」の文字を表に向けていたからだ。だが、9区は違った。七つの星が箱根駅伝のゴールの大手町を向いていた。
全ての星が見えるシーンを狙い続けるも、一向に見える気配はない。そのままラスト1キロを切った。私はタスキを外すシーンに全てをかけることにした。
チャンスは一度きり。第一京浜の本線から鶴見中継所の側道に入る一瞬だ。タスキの文字が分かるように望遠レンズに持ち替える。木や電信柱が邪魔をするため、オートフォーカスは使用せず、ピントは固定。揺れるトラック上で体をひねった不安定な撮影姿勢によるブレを考慮し、シャッタスピードを高速に設定し、その時を待つ。
側道に入ったタイミングで予想通り佐藤有がタスキに手をかけた。道路標識の柱が視界に入り、オートフォーカスを解除。「撮れててくれ」。そう祈りながら、最速の秒間30コマでシャッターを切り続けた。
鶴見中継所に駆け込んだ佐藤有選手がタスキを10区の折田壮太選手に預け、天を指差す一連を撮り終えた。期待と不安の中、カメラで画像を確認する。すると、外した勢いでふわりと浮いたタスキには★が7つ、はっきりと写っていた。写真はたった2枚。そのシーンは文字通り一瞬だった。
共同カメラ車は、10区のゴールを見届けることなく、直前の交差点で右折する。そのため、ゴールは撮影どころか肉眼で見ることもできない。幾分の寂しさを感じる中、ビル先から歓声が沸き起こった。七つ星のタスキがゴールに飛び込む情景が脳裏に浮かんだ。青学大が叩き出した記録は大会新の10時間37分34秒。その内、共同カメラ車からタスキの「七つ星」が見えたのは0.067秒。切り取ったこの瞬間こそが私にとってのベストショットだ。(写真映像部・木村 揚輔)
6年に1度の箱根大役 タスキの“裏側”捉えた0.067秒 青学大10時間37分34秒「七つ星」の軌跡
引用元:スポニチアネックス


