マスコミからのバッシング、夫との記者会見、離婚や休養も経て…40歳で引退→陸連トップになった有森裕子(59)が貫いた信念

マスコミからのバッシング、夫との記者会見、離婚や休養も経て…40歳で引退→陸連トップになった有森裕子(59)が貫いた信念

〈「彼女が自ら命を絶つのではと心配して…」両足の手術、周囲からの孤立…有森裕子(当時29)がアトランタで“伝説の走り”を見せた理由〉 から続く

 いまから30年前の1996年7月28日は、有森裕子がアトランタ五輪の女子マラソンで銅メダルを獲得した日だ。「自分で自分をほめたい」という名言を残した彼女は、五輪後も信念を貫き、日本初の「プロランナー」への道を切り拓いていく。だが、そこにはバッシングの声も……。40歳まで現役を続け、2025年6月には女性初となる日本陸上競技連盟会長に就任した彼女の“現在地”とは。(全4回の4回目)

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 アトランタ五輪で目標どおりメダルを獲得すると、まもなくして彼女はアスリートを取り巻く環境を改善するため動き出す。具体的な第一歩は、1996年暮れに7年あまり所属したリクルートから独立して、翌年年明けからは個人のアスリートとして同社と業務委託契約およびエージェント契約を交わしたことだ。

 その少し前、彼女はあるインタビューで、今後は職業欄に何と書くのかと訊かれ、首を傾げて《「会社員」? うーん……》としばらく考えると、《私の仕事は、生きることなんです。今までは、生きることの代名詞として走ってきたけど、これからの私の仕事は……走りながら、生きていくことです》と答えていた(『プレジデント』1996年10月号)。