箱根駅伝シード権喪失は「偶然ではなく必然だった」◆東洋大の酒井俊幸監督が語る真因(前編)

引用元:時事通信
箱根駅伝シード権喪失は「偶然ではなく必然だった」◆東洋大の酒井俊幸監督が語る真因(前編)

 絶大な注目度と人気を誇る年初の国民的行事「東京箱根間往復大学駅伝競走」において、東洋大は多くのファンの心を打つ走りを見せてきた。伝統カラー「鉄紺」のたすきをつなぎ、2009年の初優勝を含めて総合優勝4回、同年から11年連続で3位以内など輝かしい記録を打ち立ててきた。

 しかし今年1月、名門に衝撃が走った。総合14位に沈み、06年から守り続けていたシード権獲得(10位以内)の連続記録が20年で途絶えた。今季、予選会から再出発する新チームが掲げたスローガンは「原点回帰」と「シンカ」。指揮を執る酒井俊幸監督(50)が時事通信のインタビューに応じ、シード権喪失の真因などについて語った。前後編に分け、紹介する。(時事通信運動部 青木貴紀)

◆苦しんだシーズン

 26年の箱根駅伝。1区の松井海斗(現3年)が区間3位と好発進したものの、「花の2区」で19位に後退。期待された山上りの5区でも追い上げられず、往路を15位で終えると、復路も12位と巻き返せなかった。合計10時間56分27秒で14位。最後のシード権をつかんだ10位日大とは2分31秒差だった。酒井監督は運営管理車に乗りながら、冷静に状況を見詰めている自分に気付いたという。

 「選手層の薄さを感じた。起用したかった最上級生の離脱もあり、流れを変えて立て直す選手がいなかった。(チームの)普段の取り組みのスタンダードが下がっていたところが肝心な時に出る。今までなら踏みとどまっていたところで踏ん張りが利かなかったのは、偶然じゃなくて必然。少し歯車が狂って力が出せなくなると、近年の箱根は立て直しが利かない」

 苦戦続きのシーズンだった。昨年5月に行われた全日本大学駅伝対校選手権の関東地区選考会は8位となり、わずかな差で18年ぶりに本戦出場(7位以内)を逃した。同10月の出雲全日本大学選抜駅伝でも9位にとどまり、上位争いに絡めなかった。近年の大学駅伝は高速化が著しく進み、争いは年々激しさを増している。

◆寮に掲示した「屈辱のたすき」

 箱根駅伝は区間距離の変更の影響もあるとはいえ、15年ほど前までは11時間を切れば総合優勝できていた。今年3連覇を遂げた青学大は、大会新記録の10時間37分34秒。シューズの進化、その機能を生かす体づくりやランニングフォームの最適化、トレーニングやコンディショニングの科学的なアプローチなど、各大学の取り組みは実業団に匹敵するレベルになってきている。

 酒井監督は再スタートを切るにあたり、選手たちに前向きな言葉を投げ掛けた。

 「もう一度、新しい東洋大、チームカラーをつくるチャンスでもある。これをしっかり自分たちの成長に変えていこう」

 東洋大長距離部門の選手たちが生活する寮の玄関を抜けてすぐ左手の壁には、今年の箱根駅伝で使用した鉄紺のたすきと公式記録を入れた額が掛けられている。屈辱を胸に刻み、再起への原動力とするため、酒井監督は部員たちの目に留まりやすい場所に掲示した。

◆「原点回帰」と「シンカ」

 新主将には薄根大河(4年)を任命した。15位でたすきを受けた箱根駅伝の最終10区で最後まで諦めない区間6位の力走を見せた。「こんなところで終わりたくない」という気概を感じ、他の部員も呼応し始めている。チームは今春から何度もミーティングを重ね、スローガンを「原点回帰」と「シンカ」に決めた。酒井監督がそのプロセスを振り返る。

 「『原点回帰』は学生たちの発案でした。東洋大のユニホームを着たくて入ってきた学生もやっぱりいる。鉄紺のユニホームを着られる喜び、何のために東洋大に来たのか、東洋大ってどんなチームなのか、思いを再確認して初心に返る。そして、それを体現して、もう一歩深めていきたい。箱根駅伝が終わり、『シンカ』しなければ駄目だと感じた。『進化』もそうだし、真の実力を問う『真価』、取り組みを深める『深化』などいろんな意味が込められている。今までやってきたことを全部否定するのではなく、これまでと違う新しい東洋大をつくり出すチャンスでもある」

 先輩が紡いできた鉄紺のプライドや伝統を守りながら、常識にとらわれず時代に応じた新しい試みにも挑戦していく。思い返せば、東洋大は敗戦をターニングポイントとして意識改革を進め、次への一歩を踏み出してきた。東洋大の根幹であり、代名詞ともいえるスローガン「その1秒をけずりだせ」が生まれるきっかけとなった2011年の箱根駅伝もそうだった。(後編に続く)