「やり、投げてみない?」
4年前、八王子市の南多摩中等教育学校2年(中学2年相当)で軟式野球部員だった新井里奈さんは友人と下校中、陸上部顧問の千田佳史教諭(当時)から突然の「スカウト」を受けた。
正直、乗り気ではなかった。野球に熱中し、やり投げのことなど考えたこともなかったからだ。
新井さんは東京都羽村市出身。野球をしていた兄の影響で小学1年から野球を始めた。市内のクラブチームで男子と交じってプレーした。進学した南多摩は中高一貫校で、前期課程(中学に相当)の軟式野球部では投手として頭角を現した。
巧みな制球で打たせてとり、三振を奪うことも。3年の時には、主力投手として東京と神奈川の公立中高一貫校で開かれる大会で優勝に導いた。
■素質を見抜いた陸上部顧問
そんな新井さんに、千田教諭はグラウンドで注目していた。遠投で大きく伸びるボールに目を奪われた。「球をリリースするときの腕の振りがすごくいい。これはやりを投げさせるしかない」と素質を見抜いた。
「野球がメインで、やりは支障のない範囲でいいから」。千田教諭の熱いオファーを受け、新井さんはしぶしぶ練習に顔を出すことになった。
やりの長さは約2.2メートル、重さは約600グラム。自分の身長より長く、初めは「バランスをとるのが難しい」と感じた。千田教諭の指導のもと、助走やステップという基礎から始めた。
後期課程(高校に相当)に入ると、硬式野球部と陸上部の兼任が認められた。火金と土日は野球、月水はやり投げの練習にあてられた。
■「野球の遠投みたいな感じで」
新井さんは4年の秋、陸上の都新人大会に出場した。最後の6投目。フォームが前のめりになっていた新井さんを見て、千田教諭はアドバイスした。「野球の遠投みたいな感じで思い切り上に投げるんだ」。その一投は40メートル23を記録し、逆転優勝を果たした。
すると、新井さんの中で気持ちの変化が生まれた。嫌々始めたやり投げだったが、「これからも勝ちたい。ちゃんとやっていこう」と思うようになった。
硬式野球部でも、投手をメインに任された。ただ、女子選手は公式戦に出場できない。前期課程からほぼ同じメンバーでやってきたが、後期課程になったら男女は別という壁があった。「試合で自分がここで出たらみんなを助けられただろうなという場面もあり、悔しかった」
■巧みな制球で内野ゴロを量産
練習試合では巧みな制球で内野ゴロを量産し、わずか4球で3アウトを取る場面も。野球部の青木洋監督は「チームに欠かせない存在」と話す。前期課程から新井さんとバッテリーを組む捕手の遠藤優太主将(3年)は「投球フォームがきれいでみんなのお手本。口数は多くはないけど、プレーで引っ張ってくれる」と語る。
4年の秋、新井さんは腰に違和感を覚える。病院に行くと「腰椎(ようつい)分離症」と診断された。疲労骨折とみられ、半年ほど、やり投げも野球も休むことになった。悔しい気持ちもあったが、じっと復帰後を見据えた。
けがを乗り越え、5年でさらに飛躍した。昨年10月には、JOCジュニアオリンピックカップU18陸上競技大会に出場を果たし、全国レベルの選手に成長した。
■初のインターハイ「まだまだ伸びる」
6年になった新井さんは6月12日、茨城県で開かれた関東高校陸上大会に出場した。身長173センチの体をいっぱいに使い、力強くやりを放った。42メートル04で南関東5位になり、7~8月に滋賀県である全国高校総体(インターハイ)に初出場を決めた。
ただ、新井さんは浮かない表情だった。関東大会の数日前に自己ベストの44メートル64を記録。この数字を出せば優勝も狙えたからだ。
千田教諭は昨年他校に異動になったが、いつの間にかやり投げに熱中している自分がいた。「インターハイでは納得のいく投げで入賞をめざす」と心に決める。
関東大会の会場には千田教諭もいた。全国レベルの選手に成長した新井さんに、「フォームを修正すれば、まだまだ伸びる」と期待を込める。
■やり投げと野球、どちらが好きか
やり投げと野球、どちらが好きかと問われれば、やっぱり野球だ。最速は110キロ。制球には自信がある。やり投げは個人種目だが、野球はチームスポーツ。「相手との駆け引きで抑えたり、味方の守備に助けられたり。そういうのがやっぱり楽しい」
将来はプロ野球巨人や西武が支援する女子硬式野球クラブでのプレーを夢見る。やり投げで鍛えた「投力」を生かし、思う存分、野球を味わいたいと思っている。(小池寛木)
やり投げに熱中、鍛えた「投力」 陸上部顧問から突然の「スカウト」
引用元:朝日新聞


