56年ぶりの東京五輪、元選手として参加 マラソンの君原健二さん

引用元:時事通信
56年ぶりの東京五輪、元選手として参加 マラソンの君原健二さん

 3月26日に福島県からスタートする東京五輪の聖火リレー。前回1964年の東京五輪で8位、68年メキシコ五輪では銀メダルに輝いたマラソンの君原健二さん(78)が、同県須賀川市で聖火ランナーを務める。56年ぶりの東京五輪に元選手として参加する思いを聞いた。

 ◇64年東京五輪の盟友・円谷さんと、また一緒に=福島で聖火ランナー
 須賀川市は、64年に銅メダルを獲得した故円谷幸吉さんの故郷。福岡県在住の君原さんは同じ代表としての親交を忘れず、福島をたびたび訪れている。

 「円谷さんのメモリアルマラソンに毎年参加している縁がある。聖火ランナーの応募が昨年始まると、ぜひ須賀川で走ってほしいと要望を受けた」
 自衛官だった円谷さんは、東京五輪でゴールの国立競技場に入った後に英国のヒートリーに抜かれ銅メダル。雪辱を誓った4年後のメキシコ五輪を前に、故障や私生活の悩みを抱え、27歳で自ら命を絶った。両親に残した遺書は広く知られている。

 「円谷さんは結婚したい人がいて、新婚旅行の計画まで立てていたが、結局破談になった。孤独になっていたのだと思う。私なら同学年で割と何でも言えた。会っていれば多少は変わっていたかもしれないが、悩んでいることを知らなかった」
 ショックが残る中で迎えたメキシコ五輪。君原さんはマラソンのゴール近くで後ろに選手が迫っていることに感づき、逃げ切って銀メダルを獲得した。不思議な感覚にとらわれていたという。

 「円谷さんは(レースで)絶対に後ろを振り返らなかった。私も同じだったが、あの時は気になって振り返った。(亡くなっていた)円谷さんのご協力があったのかな、と」
 君原さんの次男はスポーツ用品メーカーに勤めており、父の聖火リレーをサポートするという。

 「今度の東京五輪は応援する立場。五輪・パラリンピックの成功、日本選手の活躍、特にマラソン選手の奮闘を願いながら、聖火を円谷さんとともに運びたい」
 ◇時代とともに五輪も変質=56年経た祭典に感慨
 男子マラソンで8位だった前回1964年の東京五輪を回想する時、君原さんには後悔の念があるという。

 「当時は23歳。精神的に未熟だった。日本の代表だから、いい成績を出さないといけないという責任感を強く持っていたが、それが強過ぎた。世紀の祭典だから、楽しめばいいという考え方もあって、一日に何回も気持ちが揺れ動いていた。一番大事なコンディション調整をおろそかにして、直前の練習後に電車で2時間かけて五輪を見に行った。日本選手のサインを集めたのも、あるまじき行動だった」
 56年後の東京大会を前に、君原さんは五輪の変質を痛感している。

 「前の五輪では、アマチュアという考え方が厳格に守られていた。理想的だったと思うが、時代は変わった。やむを得ないと思う。あとは技術革新。着るもの、練習の仕方もずいぶん変わってきている」
 技術革新では、マラソンで好記録が出る「厚底シューズ」に賛否両論が巻き起こった。

 「効果はあるのでしょうね。56年前は、あつらえてくれたシューズでも、いきなり履くとマメができた。今は市販の靴でもマメなどできない」
 今夏の東京五輪は暑さとの戦いとなる。マラソンは競歩とともに急きょ札幌開催に決まった。

 「悔しいですね。女房と(チケットの)抽選で当たっていた。新しい国立競技場で応援したかった。前の国立と比較して見たかった」
 自国開催のマラソン代表選手に求めるものは何か。

 「自分の力を発揮してほしい。地の利もあると思う。外国の選手に比べれば日本のことを知っている。プレッシャーもあるが、全国民が応援している。それがきっと力になる。(競技レベルでは)厳しい状況に置かれているが、何とか入賞くらいはぜひ果たしてほしい」
 ◇ランナー文化の発展に貢献を=走り続けて地球4周半
 5位入賞した1972年ミュンヘン五輪の翌年、君原さんはマラソン選手としての第一線を退いた。新日本製鉄(現日本製鉄)を50歳で退社し、九州女子短期大学の教授は60歳で区切りをつけた。

 「暇になる前の58歳の時、今のうちに(退職後の)対策をしようと思った。これまで2本の足で走ってきたが、今度は2輪のバイクで旅行を楽しもうと。免許を取って、大きなハーレーダビッドソンを買い、四国八十八カ所のお遍路の旅に出かけた。山道は狭くて急勾配。運転が未熟で1週間かけて行ったが、怖い目に遭いながらもいい思い出になった」
 むろん健脚を衰えさせないことにも気を使う。

 「健康の確保を大事にしてやってきた。走る量は少なくなったけど、なるべく歩く。ありがたいことに(全国で)講演もさせてもらっている。どんな話をしようか、と考えると退屈しない」
 ランニングは週3回ほどのペースで今も続け、距離とタイムは毎回計って記録する。

 「64年間走り続けてきて、今18万キロ。地球に換算すると4周半を超えた。地球5周を回り切れないまま人生が終わってしまいそう(笑)」
 2016年には50年前の優勝者としてボストン・マラソンに招かれて完走した。80歳を前にした君原さんが思うことは何か。

 「競技者生活を振り返ると、思いがけない副産物があった。いろんな大会に参加して見聞を広めたり、歴史に残るような人たちと出会ったりできた。これから先も人生の思い出や、人との出会い、精神面の強化、健康の確保のために走り続けたい。昨年は市民ランニングの普及、発展に貢献したということで『ランナーズ賞』をいただいた。これからも走れる限り、走り続けて、ランナー文化の発展に少しでも貢献したい」
 ▽君原健二さんの略歴
 君原 健二(きみはら・けんじ)中学2年で陸上を始め、福岡・戸畑中央高(現ひびき高)を卒業後、八幡製鉄(現日本製鉄)入社。1964年東京五輪マラソンで8位。66年のボストンマラソン優勝。五輪には68年メキシコ(銀メダル)、72年ミュンヘン五輪(5位)と3度出場。92年から2001年まで九州女短大で教授を務め、北九州市の教育委員なども歴任。現在は講演活動や各地のマラソン大会に参加。78歳。北九州市出身。 

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