明暗分かれた初マラソン 君原健二、重松森雄 62年福岡国際

明暗分かれた初マラソン 君原健二、重松森雄 62年福岡国際

 福岡国際マラソンは5日、平和台陸上競技場発着で行われ、75回目で歴史の幕を下ろす。数々の名勝負を生み出してきた伝統のレースを振り返る。

 1962年の大会で福岡出身の2人の名ランナーがともに初めての42・195キロを刻んだ。同学年の君原健二(当時21歳)と重松森雄(同22歳)はレース中盤まで上位争いに食らいつき、終盤に差しかかった。

 「いくよ」。重松は君原がスパートの合図を送ったと記憶している。「ついていくよ」。そう応えたが、「急に足が動かなくなったんです」。君原は当時の日本最高を上回る2時間18分1秒で3位。重松は4分近く遅れて15位でゴール。明暗が分かれた。

 八幡製鉄入社4年目の君原は「思い出のために一度走ってみよう」と地元の福岡を初マラソンに選んだ。「思いがけない好成績が出て2年後の東京五輪出場の可能性が見えた」とマラソンに没頭。同五輪は8位。68年メキシコ五輪は銀メダルに輝いた。

 当時福岡大の学生だった重松は「後半のスタミナがない」と募らせた悔しさが原動力となった。山道などを6時間走る練習などで健脚を鍛え、65年に世界最高峰のマラソンとされたボストンを制覇。その53日後の英国ウィンザーで前年の東京五輪でエチオピアのアベベが出した記録を更新する2時間12分0秒の世界記録をたたき出した。

 66年のボストンは君原が優勝。「重松さんはいいライバル。励みになった」と振り返った。

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