相沢晃「円谷幸吉2世になれるように」同郷の英雄に誓う東京五輪

引用元:毎日新聞
相沢晃「円谷幸吉2世になれるように」同郷の英雄に誓う東京五輪

 東京オリンピックは第8日の30日、東京・国立競技場で陸上競技がスタートし、最初の決勝種目となった男子1万メートル決勝に相沢晃(旭化成)が出場した。

 相沢のルーツをたどると、運命に導かれるように五輪代表に決まった軌跡があった。

 福島県須賀川市出身。同郷には1964年東京五輪男子マラソンで銅メダル、1万メートルでも6位に入った伝説のランナー、円谷幸吉さんがいた。

 小学生の頃は円谷さんの名前を冠した地元のマラソン大会に出場し、円谷さんのシューズなどを展示しているメモリアルホールに何度も足を運んだ。「須賀川市にこんなに五輪で活躍した選手がいるんだと衝撃を覚えた」

 中学生になると地元の陸上チーム「円谷ランナーズ」に所属。ランナーとしての基礎を磨いた。「僕が東京五輪に出場するのは、円谷選手が東京五輪に出場した時と同じ24歳。円谷幸吉2世になれるように頑張りたい」。地元の英雄は、憧れの存在だ。

 五輪の舞台に立つまでの道のりは平坦(へいたん)ではなかった。2011年に東日本大震災で被災。中学1年だった相沢は卒業式のため普段より早く帰宅し、祖母の明子さんと自宅にいた。震度6強の激震に襲われ、すぐに家を出て逃げたが、自宅近くの川の上流にある農業用ダム湖「藤沼湖」の堤防が決壊し、川が氾濫した。

 「(自宅の)目の前まで水が流れてきて、すごく怖かった。足が悪い祖母は逃げ遅れ、家の2階にいたので無事だったけど、本当に怖かった」

 数日間は避難所生活を送り、食事も満足にできなかった。所属していた中学の野球部が使うグラウンドは、仮設住宅や土砂の保管場所に変わり果てた。

 そんな相沢を元気づけたのは、陸上だった。中学2年だった12年の箱根駅伝。同じ福島県出身である東洋大の柏原竜二さんが、山上りの5区で区間新記録の快走を見せた。チームを総合優勝に導き、「2代目・山の神」と呼ばれた柏原さんの活躍に、「僕も人々に勇気や元気を届けられる選手になりたい」との思いを強くした。

 福島・学法石川高1年時の13年には「復興五輪」を掲げた東京五輪の開催が決定。16年に東洋大に進み、4年時に箱根、全日本、出雲選抜の学生3大駅伝で、すべて区間新記録を出した。

 20年春に名門の旭化成へ。12月4日の日本選手権1万メートルで従来の日本記録を10秒以上も塗り替える27分18秒75で優勝し、東京五輪への切符をつかんだ。12月4日は円谷ランナーズの指導者だった芳賀敏郎さんの命日でもあった。「『天国で背中を押してくれていたね』と、たくさんの方から連絡をもらった。その人たちに支えられて結果を出せた」

 円谷さんは68年メキシコ五輪前、「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残し、命を絶った。

 「子どもの頃は、そんなに悲観することかなと正直思った。でも、何としても勝ちたかったんだな、と今は思う。自分を許せない強い気持ちが僕にはまだ足りない。時代が変わっても覚悟は必要だと思う」

 東京五輪の結果を次への糧にする。【新井隆一】

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