【金メダリストのマラソンメソッド】野口みずきの練習ノート vol.1~ハーフマラソンから始まった頂点への道

引用元:BBM Sports
【金メダリストのマラソンメソッド】野口みずきの練習ノート vol.1~ハーフマラソンから始まった頂点への道

詳細なトレーニングメニュー、食事やサプリのこと、体の状態、そのときどんな気持ちで走りに向き合っていたのか―― 選手生活の間ずっと欠かさずつけていた50冊以上の練習ノートは、野口みずきさんにとって「マラソンそのもの」でした。このノートから、より速く、より良く走るためのヒントをお届けします。(*ランニングマガジン・クリール2019年6月号より再掲載)

1999年9月21日・菅平合宿14 日目の練習日誌。この後、10月の世界ハーフで女子マラソンの世界記録保持者(当時)のテグラ・ロルーペ(ケニア)に次いで2位となる。21歳のときだった

中学で陸上競技を始めたときから、練習ノートをつけることは、私にとって欠かせないことでした。もちろん面倒くさいなと思う日もありましたが、ノートを書き終わらないと、1日が終わらないような気がするんです。毎日の歯磨きみたいなものですね。私は、1日の終わりに、その日のことを思い返しながら書いていました。

今、見返すと字が汚かったり、適当に書いていたりする日もあります。中学・高校時代や実業団の初期の頃は、先生や監督などに報告するために敬語で書いているのですが、そのうち自分に向けて書くようになっていました。練習ノートのなかにも、自身の成長や考え方の変化を見てとることができます。また、ノートをつけていたおかげで、レース後や記者会見などで、きちんと自分の言葉でコメントできるようになりました。

この連載では、練習ノートから私の現役時代のターニングポイントの数々を振り返ります。皆さんのランニングライフを充実させるためのヒントになれば幸いです。

アテネ五輪金メダル、マラソン日本記録樹立と、世間の人にとって、私の競技人生は順風満帆と思われているかもしれません。ですが、実業団に進んだばかりの頃は、なかなか結果を残せず、涙を流したことがたくさんありました。

最初の転機となったのは、社会人2年目の終わり(1999年2月)に出場した犬山ハーフマラソンでした。通過の5kmも、10kmも、トラックの自己ベストよりも速く、良いリズムを刻んで走れました。最後はペースダウンしましたが、初ハーフを1時間10分16秒の好記録で優勝できました。その数週間後のまつえレディースハーフマラソンは2位。当時はまだマラソンを走るイメージはなく、「ハーフぐらいは走っておこう」という程度の考えだったのですが、ハーフで立て続けに結果を残せました。このときわかったのですが、私はトラックよりもロードのほうがリズムを取りやすいし、好不調の波も小さかったのです。それからは、ロード中心、長い距離中心の練習になっていきました。

そして、7月の札幌国際ハーフで2位に入り、10月にイタリアで開催された世界ハーフマラソン選手権の日本代表に選出されました。これが私にとって初めての世界大会となりました。

世界ハーフに向けて、美瑛(北海道)、菅平(長野)とアップダウンのある土地で走り込みました。ですが、練習ノートを振り返ると、初めての日本代表とはいえ、マラソンのような調整はせず、普通にしっかりと練習をしています。もちろん最終調整はしていますが・・・。

そしてレース本番。最初は先頭集団についていこうと思っていたのですが、スローペースの展開になり、結局、15kmくらいまで先頭を引っ張ることになりました。周回コースだったので、1周ごとに、MCの方が「ミズキ・ノグチ!」と実況してくれるのが気持ち良く、楽しく走れました。最後は、女子マラソンの世界記録保持者(当時)だったテグラ・ロルーペ選手(ケニア)に抜かれましたが、1時間9分12秒で銀メダルをとることができました。

世界ハーフの1カ月後の名古屋ハーフでも、1時間8分30秒の自己新(当時)で優勝。ハーフを始めて1年もたたないうちに、初ハーフから2分近く記録を縮めていました。この年はトラックの5000mでも自己記録を連発。私の場合、ロードで土台をつくっていくのが正解だったんですね。ランニングマガジン・クリール編集部

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