なたで切られた過去を越えて 東京パラのメダル夢見る仏選手

引用元:AFP=時事
なたで切られた過去を越えて 東京パラのメダル夢見る仏選手

【AFP=時事】パラリンピックは、苦難を乗り越えて偉業を達成した選手のストーリーの宝庫だが、ジャン・バティスト・アレーズ(Jean-Baptiste Alaize、フランス)ほどのトラウマを抱えた選手はそう多くない。

【写真】今も背中には傷が残る(その他全11枚) 陸上短距離と幅跳びを専門とするアレーズは、ネットフリックス(Netflix)のドキュメンタリー「ライジング・フェニックス(Rising Phoenix)」でも取りあげられた29歳だ。アレーズがわずか3歳で右脚を失った原因は、事故でも、病気でもなく、マチェーテ(なた)で切りつけられたことだった。 ブルンジで内戦が発生していた1994年10月、ツシ族の少年だったアレーズは、母親と共に近隣のフツ族に捕まり、母親は息子が見ている前で首を切られて殺された。アレーズ自身も背中を切り裂かれ、他にも首や右腕、右脚を切られた末に放置された。何とか一命を取りとめたが、数日後に病院のベッドで目を覚ますと、右脚の膝から下がなくなっていた。 アンティーブ(Antibes)での練習後、AFPのインタビューに応じたアレーズは、喉を指でかき切る仕草をしながら、「何年もの間、目を閉じるたびにその場面がフラッシュバックした。母が目の前で処刑されるところを見たんだ」と話した。「母と一緒に走って、走ったが、遠くまでは走れなかった」「僕らは家から40メートルの場所で処刑された」 それから、走ることがアレーズの人生のストーリーになった。

■「自由」をくれた陸上

 その後1998年にフランスへ渡り、今の家族に引き取られたアレーズは、ドローム(Drome)の陸上クラブに入った。そして人工装具を着けて走った晩、襲撃後初めて悪夢にうなされずに済んだ。 現在、米フロリダ州のマイアミに住むアレーズは、「初めてトラックに足を踏み入れた瞬間から、できるだけ長く走らないといけない、捕まっちゃいけないという感覚があった」と話す。「練習初日の夜のことは今でもきのうのように覚えている。驚いたよ。頭がすっきりして、自由だった。体内のエネルギーや憎しみが、全てトラックに向かっていた」1
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