【箱根駅伝】明治大・小袖英人「誰にも負けたくない」という思いを胸に、最後の箱根路で区間賞を

引用元:4years.
【箱根駅伝】明治大・小袖英人「誰にも負けたくない」という思いを胸に、最後の箱根路で区間賞を

明治大学は1949(昭和24)年の第25回箱根駅伝を最後に、総合優勝から遠ざかっている。そんな中、山本佑樹監督は3位に入った今年11月1日の全日本大学駅伝直後の記者会見で、「次の箱根駅伝では総合優勝を目指す」と発表した。小袖英人(4年、八戸学院光星)は初めて山本監督が口にした「総合優勝」の言葉に少なからず驚いたが、それよりも「(全日本以上に)箱根ではもっと戦えるんじゃないか」と意欲を燃やしていた。

先輩たちの力になれなかった悔しさをバネに

「チーム内で言えば誰にも負けたくないし、勝つためには他校のエースとも戦っていかないといけないなと思っています」。4年生として、そしてチームを牽引(けんいん)するひとりとして、小袖は強い思いでラストイヤーを戦っている。

大学4年間を振り返ると、悔しい思いをすることの方が多かった。1年生で挑んだ箱根駅伝予選会ではチーム最下位に沈み、明治大は13位で本戦出場を逃した。2年生で箱根駅伝デビューを飾るが、7区区間18位。「先輩たちがつくってくれた流れを止めてしまった」という後悔から3年生では結果を残すと心に誓った。

その3年生の時に関東インカレ10000mで29分10秒09をマークして8位入賞。同年の全日本大学駅伝では1区を走り、区間5位と今度は自分の走りで流れをもたらした。前回の箱根駅伝でも1区を任されている。大きな集団は15km過ぎまで続き、六郷橋のアップダウンで集団がばらけると小袖も先頭から後れ始めた。シード圏内を目指していた中での区間10位に悔しさが募ったが、阿部弘輝(現・住友電工)の7区区間新記録・区間賞という活躍もあり、チームは総合6位で5年ぶりにシード権を手にした。

新チームに移行するにあたり、絶対的エースだった阿部が抜ける影響は大きく、だからこそ山本監督は「誰がエースなんだ!」と口にすることで、選手一人ひとりの意識改革を促してきた。「エースに近い存在として自分の名前が挙がることもあったので、多少プレッシャーはあったんですけど、そこまでそんなに気にすることなく、自分がやるべきことをやろうと考えてきました」と小袖は振り返る。

また4年生として、今度は自分がチームを支える番であることも意識してきた。主将となった前田舜平(4年、倉敷)は、小袖の目から見てもこの1年で大きく変わった選手だという。「チームのために厳しいことも言いますし、チームに言うからには自分がやらないといけないのでそういう行動をしていましたし、キャプテンになってから大きく変わったなと思っています」。自分は走りでチームを引っ張るとともに、積極的に下級生とコミュニケーションをとることを心がけてきた。次ページは:危機意識をもって夏合宿へ、全日本で見せた攻めの走り

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